株式会社浅野工芸 は、現在準備中です。

2020/08/13 14:11

霰打ちとは

 霰打ちは霰という粒々を器の内側から表面に打ち出して、等間隔で並べた模様で、日本の工芸品の伝統的な模様です。南部鉄器でもこのような柄をよく見かけるかと思います。霰打ちは元々銀器屋の仕事で、南部鉄器にも応用されるようになったのです。砂で作った型に溶けた鉄を流し込んで作っていく南部鉄器は、鋳造を繰り返すうちにだんだんと砂が崩れていくため最初に作った「一番流し」が一番出来が良く、値段も高いのだとか。銀器の霰うちは何百もの霰の一粒一粒を手作業で打ち込んでいきます。作品は一番流しも二番流しもなく、すべて同じように出来ます。しかし、一つ一つが一発勝負。一か所打ち間違えたらおしまいの緊張感ある作品です。


貴重な技術

 霰うちを打つことができる職人は私の知る限りでは東京で3人。昔はもっと沢山の職人がいたのですが、手間がかかる面倒な仕事ですから、だんだんやる人は減っていきました。私も霰打ちのできる職人さんに師事して鍛金を倣っていたのですが肝心の霰打ちのやり方は教えてもらえません。中には霰打ちの作業になると押し入れに隠れてしまう職人もいました。それくらい秘密の技で、私も霰打ちについては自分で研究し、20年の歳月を費やしてようやく納得できる製品ができるようになりました。もちろん弊社の霰打ちの方法も企業秘密です。

 霰を打つ時には専用の道具を使います。非常に大きな力が加わるため、何度も道具を壊してしまいました。そのたび改良を重ねてより良い道具を作り直してきました。道具は全部手作りです。教えてもらってやれば誰でも簡単にできるようになります。でもそれは道具がそろっていてやり方のコツもわかっていて初めてできるものです。(簡単にとはいっても一粒一粒を間違いなく打っていくのは集中力のいる気の遠くなる作業です。)自分流でそこまで到達するのにはやはり何年もの時間がかかります。


霰打ちの極意

 霰を打つためにはまずはガイドになる線を引きます。この線がうまく引けなくてはだめです。線の間隔にわずかな隙間があると打ち込んだ霰にも一本線を引いたような隙間が空いてしまいます。平面に線を引くなら簡単ですが、相手は球体です。定規を当てられないところにどう線を引くかを考えなくてはいけません。また、線引きにはうまく線が引けるペンを選ばなくてはいけません。鉛筆ではすぐ消えてしまいます。マジックペンではペン先が太すぎます。ボールペンも金属には線が引けません。東急ハンズでドイツ製のペンを探し当てました。このペンがまた世話の焼けるペンで、ペン先をよく掃除しないとすぐ詰まってしまう。一本3000円ほどですが、インクも数千円します。しかし、細い線を安定して描くことができます。うまく線が引けたら今度は線からはみ出さず霰を打つことができるかですが、皆さんにお話しできるのはここまで。



                                        (写真:線引きした器に霰を打つ)


霰打ちとの出会い

 私がヘラ絞りの職人に奉公に出たころは中村寅吉がカナダ杯で優勝して以来のゴルフブーム。親方も毎日のようにゴルフをしていて、親方をゴルフ場まで車で送迎していたのですが、ついでにやっていけといわれ10代からゴルフを覚えました。素人だってどんどんゴルフをやってしまう。それぐらいのブームだったのです。

   (写真:1957年中村寅吉が優勝し、日本ゴルフブームの火つけ役となったカナダカップ)

 ボーリングブームも相まって、全国のゴルフ場やボーリングをはじめとしたスポーツ大会などで使う真鍮製の優勝カップの仕事がやってもやってもやりきれないほどありました。単価の安い仕事を、今では考えられないような大量のロットでこなしていました。しかしゴルフブームはいつかは去ってしまうだろうし、真鍮カップばかりでは飽きてしまう。体力的にもこのままやっていけるだろうか。30代後半になった頃、これからの仕事について考え始め、何か違うものはないかと新しい仕事を探し始めていた時、知り合いに見せてもららったカタログに見事な霰打ちのやかんや急須が載っていたの見ました。

 「なんだこれは!一体どうやって作るんだろう?」

 これがきっかけになり、それから銀器の仕事を覚え、仕事の合間を見ながら、年がら年中霰うちの練習をしていきました。今思えば霰との出会いが銀器の仕事ををはじめるきっかけにもなっていました。また、一本500円の真鍮カップと単価も全然違い、将来性がありました。

 最初は円筒状のストレートな器に霰を打っていましたが、それでは飽きてしまい、どうやったら球体に打てるのかを考えました。まず、球体にどうやって線を引くか、そして、ストレートの形状と違い、球体は霰の粒の大きさが一定ではありません。


                               (写真:霰打ち銚子の側面 )


 器の上部から胴体の中心に向かってだんだん粒の大きさが大きくなっていって、中心から底に向かってまただんだん小さくなっていきます。霰の大きさに合わせてその都度道具を作りました。そうして38才の独立から20年かけて霰が打てるようになりました。今では直径10㎜の霰を打てるようにもなりました。


思いの詰まった霰打ち銚子

今までビアグラスや花瓶などたくさんの霰打ちの銀器を作ってきましたが私のおすすめはこの銚子です。



シンプルな形ですが球体をきちんと打てるまでには苦労しました。

粒の大きさがだんだん変わってく霰打ちが一番やりがいがありますし。きれいにそろっている霰が美しいです。

浅野工芸自慢の技、霰打ちをぜひお楽しみください。